運動による刺激は、体にとってはビックリ要素みたいなもので。
刺激がなくなれば、脳も体も考える必要がなくなり退化していきます。
ただ、刺激による副産物も考えようなもので。
元々「運動」という概念は、体を元気にさせる目的で生まれており、ラジオ体操はまさにそれです。
とっても生産的だったのですが、運動は「きつくなきゃならない」消費的な目的に変化してしまったのは、本意ではありません。
「脳も体も元気を取り戻す目的で運動しましょう」っていわれるのは、「そんなのわかってるよ。」ってわかってらっしゃると思います。
ただ、どれだけ言っても言い足りないんです。
私はロハス的で大切なものが失われつつあることに対する警笛の意味で使っています。